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緑の風に吹かれて オーストリアの旅

 

第31章 ふたたびウイーンにて @

二度目のウイーン市街二人歩き (1)

 

 昼食後、オペラ座カールス・プラッツを経て、まず向かったのが「セセッシ ョン」と呼ばれる分離派会館。なんとなく前世紀末の美術運動の旗手だった絵 画のグスタフ・クリムトやエゴン・シーレ、建築のオットー・ワーグナーに魅 かれていた私は、前回のウイーンでは彼らの仕事を殆ど見ていなかったので、今度こそはという思い入れがあったのだ。 

 

 分離派会館にて

 実は「セセッション」というカタカナ表記は、グラフィック社から刊行され ている一連のムックの一冊「ウイーン古都物語」(田中長徳・著)の68ページ の写真説明で覚えたもの。正確な綴りも知らないで、ただ分離派会館はセセッションだと思い込んでいた。

 この旅行記を書く段になって調べてゆくうちに、色々な記述があり、だんだん混乱してきた。まず、綴りにしても、

 

 Secession   日本航空・刊 JALシティメガイド・マップ

   〃         角川書店 カドカワ トラベルハンドブック

 Seccsion    昭文社 エリア・ガイド/140 オーストリア

 Sezession   現地で購入「Falk plan EXTRA」の「Wien」

   〃         ブリタニカ世界百科事典

 

 どうして三様の綴りがあるのだろうか。そして、日本航空、昭文社はどういう基準で表記したのだろう?

 従って、カタカナでの表記も、

 

 セセッション      グラフィック社のムック「ウイーン古都物語」

 ゼツィッション     昭文社 エリア・ガイド/140 オーストリア

 セツェシオン      昭文社 海外フリータイムガイド(14)

 ゼツェシオーン     新潮社 「世紀末ウイーンを歩く」(トンボの本)

 

と百花撩乱・・・はチト、オーバーだったかも知れないが。・・・・誰か正確なところを教えて貰えないだろうか。

 

 横道に逸れてしまったので、私たちがテクテクと歩いてカールス・プラッツまでやってきた所に戻る。

 なんといっても屋上に金色に輝いている球体の飾りが目につく。この会館は ドイツ、オーストリアで興った「分離派」と呼ばれる美術運動の拠点となった 建物で、古い世代の美術から疎外されていた若いクリムトたち芸術家集団が、新しい作品の発表の場として、1897年に「ウイーン分離派」誕生の翌1898年に建築家ヨーゼフ・オルブリヒが建てたもの。

           

            通りを隔てて見たセゼッション           ゼッションの側面、右側がファサード

 

 あの目立つ黄金色の球体、黄金いキャベツ(又は黄色い玉葱)は月桂樹の枝 葉をあしらったドームで、小粒の実もついていた。正面に立ってファサードに 対すると、窓の一つもない高い城壁のように見える。もしくはイスラムの神殿 風にも見える。しかし、無粋な城壁とは異なり、ファサードの壁面の両端には 黒い色で、玄関の上の壁面は金色で、モダーンかつシンブルな木の葉模様が線 画で描かれ、入口の上にメデューサの子孫のように見える3人の顔が高浮き彫 りのように並び、蛇のような髪の毛が下に伸びてからまっていた。黄金のキャ ベツだか玉葱だかの下の壁面には、金色の文字が二行記されていたが、高すぎて読み取れない。調べてみると、

 

     時代には、その芸術を

     芸術には、その自由を

 

という、ウイーン分離派の宣言のようなものとか。

 玄関に至る石段の両脇に四方の亀の背に支えられた、渦巻き模様のついた大 鉢に目を奪われる。今でさえ眼をひく斬新な建物である。建てられた当時の一 般の人々、若い芸術家たちを締め出した旧態依然としたボスたちの反応はどんなものだったろう。

    

   セゼッションのファサード上部のデコレーション        入り口の上に書かれた「時代には・・・」の言葉

 

 中に入ると、まずクリムトが描いたという壁画を見たいと、一階をウロウロ したり、二階に上がってみたりしていると、係員が地下を見ろ、と教えてくれ

た。とことこ地下に下りると、壁面が濃いブルーに塗られたカフェがあり、が らんとした白い部屋があった。白い壁の部屋には、期待していた通り、グスタ フ・クリムトの壁画が、正面の幅の狭い壁面から、左右の壁面にかけて、天井に接した高い位置に描かれていた。

  この絵は、クリムトの画集や、世紀末美術あるいは近代美術書、カタログな どに必ず収載されている作品で、楽聖ベートーヴェンの第九交響曲「歓喜に寄す」をテーマに描かれたもの。クリムトが第14回ウイーン分離派展に寄贈する ために制作された。彼が「ベートーヴェン・フリーズ」に着手したのは40歳の1901年のとき。フリーズとは帯状装飾のこと。

クリムトの「ベートーヴン・フリーズ」の一部

 

 私の第一印象での勝手な解釈(ただし、ベートーヴェンとも、クリムトの制作意図とも無関係。)では、・・・・・ 

  高さ2.15メートル、幅は長さ 34.14メートル。壁の三面に描かれている。正 面の左半分にある最もよく紹介される部分の絵は、右に青い腰布あるいはスカ ートを巻いた妊婦らしくおなかの大きな女性が立ち、上に全裸の女性二人。左 には三人の若々しいヘアヌードの女性と、背後の年をとった女。中央には左右 の画像を圧するほどのボリュームで、大きなゴリラ(?)がいる。 

 この部分だけを見ても、いろいろな解釈ができて面白い。若い女を「未来」 「希望」と読み取れるし、背後の老婆を「滅び行く既成画壇」とも「少年老い 易く、学なり難し」あるいは「人生の無情」とも、勝手に意味づけして眺めるのも乙なものである。 

 正面右側あるいは左右の壁面には、天空を翔ぶ天女のような姿、女声合唱団 の様に居並ぶ女性群像の中央には接吻に夢中になっている男女。手を前に差し 延べている裸体の男女、音楽家マーラーがモデルといわれている騎士などが描 かれているが、肉体の部分はきわめてなまなましく、逆に衣装、装身具の部分 や背景となるところは金色や色鮮やかな赤青などで、極めて装飾的、様式的に創られていた。

 「見ろ。いま若さを謳歌しているお前たちも、やがては私のように老い衰え るのだ。」と若い女性に囁きかけているように見える老婆の垂れた乳、張りを 失って弛んだ皮膚、痩せた腕が、薄気味悪い。まるで私に対しても囁きかけてくるようだった。

 

 こんどは、1902年に開催された第14回分離派展のオリジナル・カタログに記載された、この作品についての解説では、・・・・・

 

 「ホールの三方の壁の上半分にフリーズ状に展開する壁画は、グスタフ・ク リムトの手によるものである。材料=カゼイン・ペイント、漆喰、金。装飾原 理=壁画装飾とホールの建築および漆喰による装飾との調和。絵でおおわれた 三方の壁は、ひとつづきのイラストレーションとなっている。

 入口に向かい合う最初の長い壁面には、幸福への憧れと、弱い人間の悲哀が 描かれている。人々の哀願に心を動かされ、共感し、自らも幸福を熱望するよ うになった力の化身が、武器を携えて幸福のための戦闘を開始する。

 短い壁には、それに敵対する様々な力が描かれている。神々でさえかなわぬ 巨大な怪物デュポンとその娘たち。三人のゴルゴン。彼女たちは「好色淫乱」 「絶え間ない苦悩」「過激」を表している。人類の憧れと希望は、空高く飛翔している。

 第二の長い壁には、幸福への熱情が詩の中に慰めを見いだすさまが描かれて いる。芸術はわれわれを理想郷へと導く。われわれはそこにおいてのみ、純粋 な喜び、純粋な幸福、純粋な愛を見いだすことが出来るからである。楽園の天 使たちの合唱は、歓喜と、神の美しい光輝を示している。これは全世界への接吻である。」

 

 私の勝手気儘な想像と違って、説得力十分。第14回分離派展終了後、この絵 はバラバラに散逸するより、ひとまとめにして保存したほうが良いといって、カール・ライニングハウスによって買い取られたが、1915年、エゴン・シーレの仲介で、レーデラー家の所有となった。1973年オーストリア政府がこの作品を買い上げ、困難な修復作業ののち、1985年『夢と現実展』で復元された室内で再公開され、1986年に分離派会館に帰ったという。

 いま、私が立ち尽くしている眼前にあるのは、まさに再公開されたクリムトの代表作。ああ、幸せ! 

 分離派は、19世紀末にドイツ、オーストリアで興った、美術分野の旧体制と の訣別を旗がしらにした活動で、フランス印象派やアール・ヌーボーの影響を 受けて、アカデミズムや既存の展覧会組織から分離して、自由な表現活動を目指した。

 1893年にミュンヘン分離派が結成され、ベルリンに波及し、オーストリアでは、1897年にグスタフ・クリムトの指導でウイーン分離派の結成となった。絵 画と共に、建築と工芸の部門でも活発な運動が展開され、「青春様式」と訳されている「ユーゲント・スティル」が一時代を画した。

 ドイツ、オーストリアの新芸術=アール・ヌーボー、ユーゲント・スイルは 「新しい様式」という意味で、ミュンヘンの「ユゲント」という雑誌に淵源するという。「ユーゲント・スティル」はドイツ語で、19世紀から20世紀初頭に かけて西ヨーロッパの大部分で流行した芸術表現様式という。

 

 この地下室から出ると、他の部屋では現在も展示室として使われ、催しが行われていた。

 外に出ると、天気はまた良くなってきていた。濃い青空に「黄金の玉葱」がひときわくっきりと輝いていた。 

 セセッションの北側の小公園の芝生の中に大きな台座があり、雌雄二頭のラ イオンが引く車の上に一人の人物が乗っている銅像があり(クルマの両脇にもライオンが寄り添っている)、「MARC  ANTON-GRUPPE」という銘板が嵌 められていた。おまけにライオンの背には、三人のウイーン娘が跨がって、談笑している。いいベンチ代わりだね。

 


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